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政治には、人々のくらしを守るかけがえのない役割がある。政治には、人の命がかかっているーこれが私の政治信条です。
「国保料が高くて払えない」「借金の返済に困っている」「あすの暮らしが見えない」と、市民から寄せられる生活相談。議員の仕事は、住民の声を政治に生かし、くらしと命、ふるさとを守ることです。
2005年の市議選で初めて政治の舞台に押し上げていただいてから14年。市民とともに声を上げ、道理を尽くせば政治は必ず動くーこの思いを確信に、議員としての活動に取り組んできました。これからもスジを通しブレずに活動していきます。
いま、ウソとごまかし、隠ぺい、改ざんの安倍政治に怒りが広がっています。市民と野党の共闘をさらに前に進めるとともに、日本共産党の躍進でまちがった政治にサヨナラをしましょう。私もその先頭に立って奮闘する決意です。
大国 陽介(おおぐにようすけ)
日本共産党員の両親を見て育ち、小学校の卒業文集には「共産党に入って世の中を変える」と書き、担任の先生を驚かせたことも。
大学に進み、平和運動や自然環境の保護を求める活動に参加するなかで「社会のために何かしたい」と、日本共産党に自らの意思で入党しました。
学生時代の4年間、ファミリーレストランでアルバイト。調理の腕とねばり強さには定評がありました。
大学卒業後は島根三洋工業(現パナソニックソーラーシステム製造)で携帯電話やパソコンなど、最先端の仕事に関わり、やりがいを感じながら働きました。
尾村利成県議の秘書時代に「日本共産党の議員は他の議員とは違う」と実感。3つのことを学びました。
一つは、問題があればすぐに現地へ行き、自分の目で見、声を聞く。二つに、解決のために住民と力を合わせてとことん頑張る。三つに、いつでも住民の立場をつらぬく。
2005年、合併後初の市議選に立候補し当選。「若いのに大丈夫か」との声をよそに奮闘。この間の活動にもベテラン議員からも「ようがんばる。さすが共産党だ」の声が。「住民が主人公」をモットーに頑張る日々です。
仁美さんと結婚し、今では6児の父親となりました。
家庭のあたたかさを実感すると同時に、社会の矛盾や子育て支援の大切さを一層感じるようになりました。夢と希望の持てる社会へ、責任の重さも痛感しています。
大津波で被災した岩手県宮古市にてボランティア活動。被災した地域で要望をお聞きしながら一軒一軒訪問し、衣類や毛布、さつま芋などを届けました。津波の恐ろしさとともに、人々のつながりの大切さを痛感しました。
行政のチェック役としての力を発揮、「税金のムダ使い」と市民から批判のつよかった「出雲阿國座(歌舞伎劇場)」の建設と「議員の海外視察」を住民運動と一体で署名活動にも取り組み、ついに中止に追い込みました。「市民の力で政治が動く」ことを肌身で感じた瞬間でした。
出雲市南部を襲った2006年7月の豪雨災害では、真っ先に被災地に駆けつけ、ボランティアを組織。議会でも被災者支援を繰り返しとりあげ、農地復旧について農家の分担金が全額免除されることに。また、事業縮小がねらわれた「住宅リフォーム助成」の継続と充実を住民と力を合わせて実現しました。
市議に当選後、初めての議会質問で「将来の担い手が育たない、定住できない、少子化に歯止めがかからないなど多くの問題に波及する」と青年をはじめとする雇用対策の強化を迫りました。
2006年8月、雇用相談窓口「ジョブステーション出雲」が開設。相談や職業紹介など、多くの実績をあげています。
「市民のくらしと福祉の充実」をめざし、住民とともに行動。子どもの医療費助成の拡充や不妊治療への助成、公園遊具の修繕、5歳児健診(モデル事業)などが実現。子育て支援に全力をあげています。
また、「高すぎて払えない」国民健康保険料の問題を議会で繰り返しとりあげ、2.6%の引き下げを実現しました。
「収入が少なくて生活していけない」「税金が払えなくて困っている」「ヤミ金に追われている」など、大国議員のもとには市内外から多くの相談が寄せられます。
「困ったときは共産党の大国さん」と頼りにされる、まさに市民に身近な「くらしの相談相手」です。
勇退する萬代ひろみ県議(当時)の後を受け、2005年4月から10年間務めた出雲市議を辞職し県議選に立候補し、7559票(定数9・7位で当選)を獲得して県議会議員に初当選。
多くの方に支えられながら、尾村利成県議(松江市)と共に県民のくらしと命、ふるさとを守る議席として奮闘中です。